北海道紀

北海道を主に舞台とした短編小説を、毎月末に投稿しています。

最果ての地「トバリ市」へ

 ノモセ湿原を抜けると、車窓いっぱいにオホーツク海が広がる。窓を開けると、春の穏やかな風が頬を優しく撫でた。

 

 私は今年の4月から社会人としての一歩を踏み出す。シンオウ地方の中心都市である、コトブキ市に本拠地を構えるシンオウ庁に入庁した。そして私は、出先機関の一つが置かれているトバリ市に勤務することになった。

 

 シンオウ地方津々浦々を堪能したいと思った時に、シンオウ地方内を3年おきに異動するシンオウ庁に勤務することが打って付けであると考え、シンオウ庁を志望した経緯がある。

 

 コトブキ大学を卒業して、ノモセ市の実家でくつろいでいると、トバリ庁から一本の電話が入った。「おはようございます、トバリ庁企画課のIと申します。S様はトバリ庁企画課に配属されることになりました。4月3日にトバリ庁で辞令式を行いますので、お越し願います。業務などに関する詳細はその際説明いたします。失礼します。」

 

 これぞ役人と言った感じの、簡潔で無駄のない言葉選びであった。

 

 汽車から降りた私は、今日からお世話になる寮母さんに一本の電話を入れた。「こんにちは。本日からお世話になるSと申します。ただいまトバリ駅に着きましたので、あと20分ほどで到着すると思います。」「道中気をつけていらしてください。お待ちしております。」寮母さんの温かい言葉に安堵の気持ちを持った私は、軽い足取りで丘の上の独身寮を目指した。

 

 丘の麓まで行くと、独身寮前直通のバス停があるため、バスを利用した。丘を登る途中で、春の陽光を浴びてキラキラと輝くオホーツク海の光景が目に飛び込んできた。思わず見惚れてしまった私は、トバリ市での生活に高揚感をより覚えた。

 

 終点の独身寮前で降りた私は、緊張の面持ちで入寮した。玄関のすぐ右手に受付カウンターがあったので、チャイムを鳴らして寮母さんを呼んだ。すぐに奥の扉が開いて、小柄な白髪の女性が出てきた。

 

 「先ほどお電話したSと申します。今日からお世話になります。」「遠いところからご苦労さまです。今お部屋までご案内いたしますね。」寮母さんは、電話口で感じた優しい印象そのままであった。

 

 独身寮は3階建であり、一階に浴室・食堂・トレーニングルーム・個人部屋、二階と三階は個人部屋があり、各階に共同のトイレと洗面洗濯所がある。

 

 個人部屋の扉を開けると、9畳のワンルームに押し入れとクローゼットが取り付けてあり、十分快適に一人暮らしをできる環境が整っていた。

 

 しかしネット環境については、自分で整えなければならなかった。私は明日、某携帯会社の、コンセントを差すだけでネット環境が整うルーターを買いに行くことにした。

 

 翌日、私は独身寮前のバス停でバスに乗り込んだ。トバリ市では、「お買い物バス」と呼ばれる、商業施設が買い物客の足を確保するために運行するバスが走っている。通常のバスよりかなり小さく、運転手を含めて8人乗りである。

 

 お買い物日和だというのに、乗客は私以外いない。なぜなら、周りの職員は皆自家用車を所持しているからだ。私は、目的地に真っ直ぐ行けない公共交通機関を利用することで、新しい発見があるかもしれないと思い、自家用車を保持していない。

 

 バスに揺られて15分ほど経つと、道路の両脇にお店がズラリと立ち並んでいた。ちょうど某携帯会社の支店前にバス停があったので、そこで下車した。私の地元であるトバリ市よりも、街の規模は落ちるが、生活する分には十分満足できると私は思った。

 

 毎回「某携帯会社」と打つと、指が腱鞘炎になりそうなので、仮に「英雄」とさせていただく。私の大学生ライフ、そしてこれからの社会人ライフのネット環境を支えてくれる正に「英雄」のような会社であり、敬意を表してこの仮名を着けた。決して当て字なんかではない旨申し添えする。

 

 閑話休題

 

 お店の中に入ると「いらっしゃませ」と、トバリ市に来てから、寮母さんに続く二人目の歓迎を受けた。

 

 「お客様、本日は何のご用件でしょうか?」「コンセント差すだけでお馴染みのルーターを入手したいです。」「入手ですか?購入ということでよろしいですね?」「購入で構いません。先ほどアザラシを三頭ほど狩った報酬で懐は潤っています。」「かしこまりました。(苦笑)只今お持ちいたしますね。」

 

 「こちらがルーターになります。先ほど仰ったように、コンセントを差すだけでネット環境ができます。」「気になるお値段は?」「本体は一万円で、ネット使用料月額六千円弱かかります。」「本体は今日購入できるとして、問題は月額ですよね〜。うん、分かりました、ハント頑張ります。」「お買い上げありがとうございます。またのお越しをお待ちしております。」

 

 無事ホームルーターを購入できた私は、近くのフライドチキン屋に足を運んだ。店内に入ると、焼き立てのチキンの香りが私の鼻を支配して、胃が躍り出した。

 

 「いらっしゃいませ。お持ち帰りですか?それともお召し上がりですか?」「どちらがオススメでしょう?」「それに関しましては、お客様のご都合次第となります。」店内に国道を見渡せるカウンター席を発見した私は、「国道愛好家の私にピッタリの席を見つけたので、ここで食べていきます。」と返答した。

 

 「メニューはお決まりでしょうか?」「チキンバーガーセットくださいな。」「サイドメニューはどうしましょう?」「ポテトくださいな。」「ドリンクはどうしましょう?」「コーラくださいな。」「かしこまりました。お好きな席でお待ちください。」

 

 私はもちろん、国道が見渡せる窓側のカウンター席に座った。私の前を通り過ぎる車の大半がトバリナンバーであった。小さい頃に見慣れたノモセナンバーが少ないことにノスタルジーを覚えた私は、心の穴を埋めようと運ばれてきたハンバーガーセットを忙しなく口へ運んだ。

 

 結局埋められたのは空腹感のみであり、依然寂しさを感じた私はミズモリカオリの「ノモセ湿原」を聴きながらバスで家路に着いた。

 

 寮に帰り、部屋のドアを開けると南向きの窓から真っ赤な夕陽が差し込んでいた。故郷が世界三代夕陽の名所であることを思い出しかつ、帰宅の過程で愛郷の気分になっていた私は、思わず涙を流してしまった。

 

 翌朝、寝袋から身を出した私は引越し業者が来る11時に備えて身だしなみを整えた。

 

 部屋に黄色い日差しが入ってきた頃に、内線が鳴った。「S様おはようございます。引越し業者の方がお見えになりましたので、ご対応願います。」と、寮母さんからの電話だった。

 

 階段を降りて、玄関に向かうと屈強な男性が二人いた。「S様おはようございます。引越しセンターの〇〇と申します。本日は〇〇と××の二人で作業に当たらせていただきます。よろしくお願いします。」紳士さを兼ね備えたキン肉マンでモテない人は居ないだろうと余計な思考を巡らせながら私はお辞儀した。

 

 二人に運んでいただいた段ボールを開封して机や椅子を配置していく。私は寝相がすこぶる悪いため、ベッドではなく敷布団を使うようにしている。また、転勤族になるため最低限の家具に抑えるようにしている。

 

 翌朝、私は海抜100mの丘の上にある独身寮から庁舎までの道のりを、イヤホンでマ○オカートのbgmを聴きながらトップスピードで降りて行った。

 

 

 完